2018年06月12日(火) ヒューマン・ドキュメント がんばれ!小さな戦士 [長年日記]
_ 姉妹二人が同じような障害をもち、生まれてきて……
「仲良しだから、いつでも一緒なの!」
京都郊外、大山崎に住む姉妹、蔦谷春菜ちゃん(13歳)成美ちゃん(10歳)。二人は生まれた時から代謝異常の障害をもち、手足を自由に動かすことも、食べ物をうまく飲み込むこともできない。それでも、あくまで前向きに生きる両親とこの姉妹は奮闘の日を送っている。
境内の紅葉が、繊細な影を落としていた。京都ならではの情緒溢れる浄土宗西山派総本山光明寺――。
「ここはよく時代劇の撮影があったりするんですよ。清々しいので、時々、子供たちを連れて散歩に来るんです」
長女・春菜ちゃん(13)を抱いた蔦谷信郎さん(43)と、次女・成美ちゃん(10)を抱いた由美子さん(38)。
柔らかい表情のハルちゃんは笑顔も見せるが、ナルちゃんはずっと難しい顔……。身体が硬直しようとするのに耐えているのだろうか。
ハルちゃんとナルちゃんは誕生直後から原因不明の代謝異常を疑われた。とうとうはっきりしたことはわからずじまいで、脳性麻痺と診断されている。いまも手足が自由に動かないとか、食べ物をうまく飲み込むことができないといった障害と闘っている。体重はそれぞれ12キロと8.8キロ、中学2年生と小学5年生にしては悲しすぎるほどに軽い。
でも、2人の娘達に惜しみない愛情を注ぐ両親に応えるように、姉妹は前向きに生きている。ハルちゃんとナルちゃんにここまでの両親の奮闘ぶりを語り聞かせよう――。
ハルちゃん、あなたが誕生したとき、パパとママは大喜びだった。'86年2月4日午前2時59分、大きな口を開いて元気に泣いていたハルちゃんを見て、ママは”本当に真っ赤な赤ちゃんね“と関心していたし、パパは”これは美人だぞ“ってもう自慢に思ったものだった。ママの実家でも新米のお祖父ちゃんがママのお乳が出るようにと、慣れない鯉料理に挑戦して鯉が台所中を逃げ回る騒ぎだった。
立春の日に生まれ、春の菜の花のようにすくすく育ってほしい、という願いからパパは「春菜」ちゃんと命名した。
だけど――。ハルちゃんはもうそのころから苦しんでいたんだよね。お乳をあまり飲めなかったし、飲んでもすぐに吐いてしまった……。夜もあまり眠らなかった。今から思えば痛みのためだったのだろうか。でも、ママやパパたちはまさかハルちゃんがそんなに苦しんでいるとは思いもしなかったんだ。
何かヘンだな、と感じていたママは3か月検診に行ったときに、ほかの母子連れを見てショックを受けた。(えっ、3か月の赤ちゃんってこんなに手足がぷくぷくしてて大きいの? 首もしっかりしてるし、お母さんと目を合わせて笑ったりして……。ああ、この場から逃げ出 したい)
このころハルちゃんは視線がいつも定まらなくて、ママをじっと見ようとしても見ることができなかったんだ。意味もなく頭を振るしぐさも、みんな代謝異常の障害からきていたんだよね。体重も4キロと、同じ月齢の子からすると2キロぐらい少なかった。
医師も初めてハルちゃんが苦しんでいることに気がついて、専門医に紹介状を書いてくれた。この日、ママは日記にこう書いた。『神様助けて!』
それから検査漬けの日々が始まった。血液、尿、頭部CT、腹部エコー、眼科、耳鼻科、脳波、筋電図、肝生検、口腔外科……。小さな赤ちゃんにとって、どんなに大きな負担だったことだろう。「ね、ママ、どうしてミルクを飲ませてくれないの?」
検査のために”絶食“をいい渡されたとき、ハルちゃんはママに目で訴えた。ママはそのときの辛さを今も忘れない、と……。
それだけ検査をしても、結局、病名も原因もわからなかった。わかったことは、胆石の形跡があること、脳波に通常は出ない尖った波があること、身体を反らす反射があることぐらい。両親に希望をもたせるためか、医師は将来に身体の障害が残るかもしれない、とそのときは触れなかった。検査入院から退院する日、婦長さんがママのところへ話しにやってきた。「お子さんの手の”振れ“は普通じゃないと感じていらっしゃいますか? 明らかに異常ですよ」
なんてことを、とママは最初、驚いたそうだ。婦長さんは自分の子にも障害がある、と話し始めた。夜中に子供が泣いて眠らないとき、紐で抱いて立ったまま眠ったという。それも毎晩、服を着たままで。子供がミルクを畳の上に吐いたときは、量を計った水を畳の上に同じように撒いて吐いたミルクの量を見極め、その分をまた飲ませたとも……。訓練をした成果も上がってその子は普通小学校に通うようになり、いまでは優しい子になっていると締めくくった。
(親というのは、そこまでできるもんなんやな。よし、私もがんばらな、あかんな)
ママは婦長さんから、ちょっぴり勇気をもらったんだ。
夜中に泣きやまないハルちゃんをパパとママは交代で抱き続けた…
ハルちゃんは生後7か月目ぐらいから、なぜか目の光が違ってきた。目をこする仕草も多くなった。パパとママが医師に診せると、まず診察前に瞳孔を広げる目薬を注された。たちまち瞳孔が広がっていくと、1か月前に診察して異常なしといわれたばかりの黒い瞳が真っ白に……。白内障が急に進んでいたんだ。
「かわいそうに白内障か。真っ白やんか」瞳孔が開くと待合室のしろうと患者にも視力がないことがわかるほど重症だった。
発達段階の子供の場合には、もしも手術が遅れると 脳細胞の機能が育たず、永久に視力が失われてしまう。それまでママを励ましてきたパパだったけれど、このときばかりは悲しみが爆発してしまった。めまいを起こしそうになるほどの大ショックを受けたんだ。
「身体のハンディをもったうえに、目が見えないとなると、ハルちゃんはいったいどうなってしまうんだ」
パパはお祖母ちゃんの前で男泣きに泣いた。
何らかの原因で白濁してしまった水晶体を取り除く手術が行われた。手術が終わっても、見えるようにはならない。水晶体の代わりになるコンタクトレンズを入れて初めて見えるようになる。あれからずっとコンタクトをしているけれど、どのくらい見えるのか、それはハルちゃんだけにしかわからないことだね。ちゃんと見えてるようだけどコンタクトを着けてもらうのとはずしてもらうのは、ハルちゃんはいまでも大嫌いだね……。
ハルちゃんはよく泣く子だった。特に夜はずっと抱き続けていないと眠らない。寝付いたから、と布団に寝かせるとすぐに泣き出すということが、2、3年も続いたんだ。パパとママは眠る時間を交替しながらハルちゃんを抱き続けた。
ある深夜、ママがハルちゃんを抱いて部屋の中を歩きまわっていると、ふと鏡に映った自分の姿を見つけた。その瞬間、情けなさが胸一杯にこみ上げてきた。(世間の人たちはおそらくみんな眠っているだろう。みんな幸せそうに子育てしてるのに、なんで私だけが……)
ハルちゃんの誕生から3年後の'89年1月27日、ナルちゃんが生まれた。3,044グラム。両親は期待した。
「ハルちゃんの障害は遺伝的なものではないので大丈夫だと思います。同じ障害が続けて2人の子供に出ることはないでしょう。まず心配はいりません」
成美という名前は「美しい心と健康な体を持った人に成るように」とパパが命名。妹がいたほうがハルちゃんの発達を促すことにもなる、とパパとママは期待していた。
生まれてすぐ、ナルちゃんにもハルちゃんと同じような障害があることをママは知った。お乳の飲みが弱かったし、瞳にほんの少しだけ白い濁りがあるのも見つけた。医師に診せると、目は手術の必要はないという。少しタイプは違うけれど同じような障害と知ったとき、ママは心の中でナルちゃんに謝った。
「ごめんね、ナルちゃん。ママと一緒にお姉ちゃんの面倒を見てね、なんてプレッシャーをかけたのがいけなかったのよね。成美もお姉ちゃんと同じようにパパとママに甘えたいよって思ったんでしょ」
パパもそんなに落胆はしなかった。
「同じように生まれてきたのは、親が未熟な分、姉妹分け隔てなく親の愛情を受けられるようにとの神様の配慮だったんだね」
それでも、子育ては前にも増して大変になった。姉妹2人になったから手間が2倍というのでは済まなかった。
身体の機能を伸ばすための訓練に通うため、ペーパー・ドライバーだったママがハンドルを握るようにもなった。
それまでトライアル・バイクや自動車レース観戦など、屋外の趣味が多かったパパはパソコンなど家の中でできる趣味にシフトしていき、ママや子供たちに寂しい思いをさせないようにしていた。
ハルちゃんの小学校入学を控えて、パパは通学を考えてそれまで住んでいた大阪から京都・山崎の実家へと戻ることを決心した。実家から向日が丘養護学校までは車で15分ほど。それまで兄弟で水道工事会社を経営してきて支店を任されている格好だったが、法制面の変更とも重なり、支店の必要性も薄れた。家を増築して転居に備えた。
ハルちゃん、ナルちゃん、パパの会社の社長をしている伯父さんが、どれくらいパパとママを応援してくれているか知っているかい。パパが送り迎えをしなければならないときなど、会社を抜けるのを伯父さんは全面的に認めてくれているんだ。「仕事のために働いているんじゃない。家族のために働くんだ」と。
キャンピングカーでの旅行が気分転換に…
ハルちゃん、ナルちゃんが生まれてからしばらくの間、家族旅行など考えられない日々が続いていた。
もともと行動的で屋外の活動が大好きなパパは、3年前に家族旅行のできる車を購入した。カナダのトリプル-E社製のリージェンシー736。エンジンが7,130ccもある超大型のキャンピング・カーだ。
「家ごと移動するようなもので、子供たちの負担を少なくして旅行に行けます」
とママもご機嫌。家族で最初に出かけたのは琵琶湖だったね。家から1時間ほどの所にある『道の駅』に行くのだって自分の力では動くことができないハルちゃん、ナルちゃんにとったら、どれくらいいい気分転換になるだろう。
ところで、ナルちゃんは生まれてからしばらくの間、障害はよほど軽いと思われた。
寝返りはしたし、俯せの姿勢で電気ピアノのキーボードを叩くのが大好きだった。ハルちゃんと違って”低緊張“という力が入りにくいタイプの障害だったけれど、それでもある程度までは発達していくか、に見えた。
それがどうしたことかだんだん緊張が強く出るようになってしまい、時にはママの運転する車のチャイルドシートに1人で座っていることも難しいことがある。身体が反ってしまい、硬直する痛みに耐えられなくて泣かずにはいられないからだ。まして1歳のころはできていた手遊びも、いまの状態ではやれそうにない。強い緊張が出るようになってから、笑顔もめっきり見られなくなった。口から食べることもできるけれど、確実に摂らなければならない栄養は鼻から胃まで入れた細いビニール・チューブから入れなければならない……。
昨年末、パパが胆石の検査のため入院した。ママ1人では、とても2人の面倒を見ることはできない。パパの入院の間、ハルちゃんは学校の寄宿舎に入ることになった。
さすがにお姉ちゃんは、先生の献身的な世話もあり、緊張しながらも寄宿舎生活を乗り越えた。でも、パパがお迎えに行った日のこと――。
パパの姿を窓越しに認めて、やっと迎えに来てもらえた、と思ったらパパは荷物だけ抱えてクルマのほうへ戻って行ってしまった。次にパパがハルちゃんの所へ迎えに行ったとき、ほっと安心したあまり、笑顔を見せるどころか大泣きしてしまったね。ハルちゃんは何も言葉は出せないけれど、パパが大好きだし、周囲の状況もほとんどわかって懸命に自分の役割を生きている。
ナルちゃんも、言葉は何も出すことができない。身体はうんと小さいけれど、小学5年生の心に、いったいどれだけの思いが詰まっていることだろう。喜びや悲しみのひだをうまく表現できない苦しみと、どれだけ闘い続けてきたのだろうか。
ハルちゃん、ナルちゃんは、地元の大山崎小学校の子供たちとサマースクールをしたり交流する機会をもっている。その大山崎小学校のお友達が手紙をたくさん届けてくれた。ほんの1部を紹介しよう。
《2人の笑顔を今日のビデオで見たけど、思わずなつかしくて、なみだがこぼれてきました。こんなことで泣くなんて、私って少し弱虫って思うかもしれないけど、今、本当に会いたいと思っています。お母さんはつらいこともいっぱいあったと思うけど、うれしい、楽しい、おもしろいということもたくさんあったと思う。もし、つらい、しんどいことがあれば私のお手紙を少しでも読んで下さい……》
手足を動かせない、言葉も出ない、深夜でも身体を硬直させて大泣きすることがある……。そんなナルちゃんを、ママはこういったね。
「この子、何でもわかってるわと思いながら、ずっと泣かれていると何でいうことを聞かないんだろうって、つらく当たってしまうこともありました。だけど成美はこの子なりに精一杯頑張って、どうしてもこらえられないほどつらい時、泣いていたんでしょう。”親“だから何でもこの子のことを知ってる、なんてことに甘えないで、もっともっとこの子をわかってあげなきゃ、と……」
そういいながらママは頬に熱い涙を流した。そのいく筋もの涙を見たとき、ナルちゃんはギュッと硬く閉じていた口元を緩めてみせたね。
ハルちゃん、ナルちゃんがパパとママの元に生まれてきたことで、家族には多くの素晴らしい出会いがあった。生きることは決して楽ではないけれど楽しいことだよ、と2人が教えてくれたんだ。
ハルちゃん、ナルちゃんはこれから思春期を迎える。きっと、さらに難しい問題が出てくることだろう。でも、パパとママ、支えてくれる大勢の仲間たちと一緒にやっていけば道はきっと開けていくよ。ハルちゃん、ナルちゃん、これからも頑張って。
- 取材・文
- 小野瀬健人
- 撮影
- 山下芳彦