ハルちゃんとナルちゃんのおいたち


春菜の誕生

1986年2月4日2780gで春菜が生まれました。その日の夜中午前1時過ぎ頃に妻が帰っている里から電話が入りました。陣痛が始まったのだけれど最初から感覚が異常に短い気がする、それも来たかなと言う程度ではなくかなり苦しい感じだというのです。すぐに車で向かうことにしました。 車で15分くらいのところなのですぐに着いたのですが、義母と妻は悲壮な感じ、陣痛の間隔がどんどん短くなっています。とりあえず産院へ電話を入れてすぐに向かいました。

車の中でもだんだん陣痛がひどくなり助手席に乗っている妻は時折車のフロントガラスで足を踏ん張りうなりをあげる始末「大丈夫かいな!?」と思いつつも産院へ急ぎました。これも車で15分位のところなのですぐに着いたのですが、妻にとってはやけに長く感じたことでしょう。産院の階段を上がる途中でも激しい陣痛が来て手摺りに捕まってうなりをあげる妻、傍目で見てもお腹の形が変わっているのが分かりました。どうやら子供が旋回をはじめているようです。それにしても陣痛が始まってまだ2時間と経っていません。どうなっているのやら。

 何とか分娩室まで連れて入り控え室で義母と待つことに・・・、 それから30分もしないうちに赤ん坊の泣き声が

     僕「もうできてんやろか」
      標準語訳(もうできたのでしょうか)

  義母「同じような人が先に来たはったんですやろか」
      標準語訳(同じような人が先に来られてたのでしょうかねぇ)

   僕「どう見ても早すぎまんな」
      標準語訳(どう見ても早すぎますね)

  義母「はあ、そらちがいまっせ」
      標準語訳(はあ、それはちがいますでしょう)

と言うような会話をしていたら控え室のドアが開きました、「可愛い女の子ですよ」っと看護婦さん、呆然と顔を見合わす僕と義母、陣痛が始まってわずか2時間半ほどで生まれてしまいました。妻曰わく「先生がもう気張っても良いよと言われたので2回ほど"うーんっ"と気張ったら出た」っと言っておりました。春菜の名前は、ちょうど立春に生まれたこと。これから向かう春に菜の花のようにすくすくと育ってほしいという願いをこめてつけました。 妻のお乳が良く出るようにと鯉のみそ汁を持っていったのを覚えています。

ママの気持ち

初めての出産で予定日が近づくにつれて期待と不安が大きく大きくなっていきました。実は春ちゃんを出産した前日に 産院で定期検診を受け、翌日に出産するような事は何も言われていませんでした。もちろんその兆候があったならそう先生もおっしゃったでしょう。

その夜中に何となくお腹が痛くなってきました。もし陣痛なら痛みの間隔は20分おきとか 10分おきとか だんだんと短くなっていくものだと私の知識にはありました。初産でもありますしとにかく時間がかかるはずです。ちょっと様子をうかがっていると どうも痛みの間隔は5分どころではありません。いそいで 夫に産院まで連れていってもらい あれよあれよという間に春菜が生まれたのでした。自分でも驚くほどの超スピード出産でした。

生まれたての春菜は 真っ赤で 大きな口を開けて泣いていました。赤ちゃんって本当に赤いんだなぁ...と思いました。

産後はお乳が良く出るようにと 先輩ママさん達にいろんな情報を教えてもらいました。とにかくジュースを飲むこと、特にピーチネクターが良いとか お餅が良いとか ゴマが良いとか 鯉こく(鯉のおみそ汁)が良いとか・・

鯉と言えば 出産お見舞いにと 生きた鯉を頂きました。たぶんお乳が良く出ると言うそんなことからだと思います。あとから夫から聞いた話ですが 活きのいい鯉を私の父が意を決して料理しようと包丁で急所をひとおもいにえいっ!ところが的が外れたらしく鯉さんは苦し紛れに実家のキッチンの床の上を泳ぎ回ったのだと...鯉も可愛そうでしたが たぶんあまり気乗りのしない“大仕事”を父は娘である私と初孫の為にと頑張ってくれたのでしょう。そんなコミカルだけど なんともせつないような裏話があったのでした。

退院の日は小雪がちらつくとても寒い日でした。

2004年07月13日 13:58更新