へんこつ日誌

Oral_Top_Anchor
トップ «前の日記(2001年11月07日(水)) 最新 次の日記(2001年11月09日(金))»
RSS feed


ここから本文

2001年11月08日(木) [長年日記]

§1 久々にゆったりとした朝を迎えた。

こんな事はまれである。ナルちゃんがお腹の調子が思わしくなくなってから年に一回のお泊まりも出来ず、夫婦水入らずの時が無かったなぁと、変な感慨があった。今回の手術の結果がうまく行けばゆっくり食事でも出来るかも知れないなぁ。今頃言ったら不謹慎かなぁ。

3時頃にICUから出てくると聞いていたので朝はゆっくりして昼ご飯をどこかで食べてから行こうなどと話していたのだが・・・

とりあえず出来てなかった用事をすませるべく動き回った。おみさんの携帯電話もそろそろメールが出来るのに替えようと手続きも済ませるつもりでいた、電話屋に着いた頃おみさんから電話。ナルちゃんがICUから出てきたとのこと。話が違うじゃん。親がいないと不安がるだろうからと行っていたのはそちらでしょうが。もう少し早く連絡するとか方法もあっただろうに。

あわてて家に帰りおみさんと出かけた。病室に着いてみるとすやすやとよく寝ているナルちゃんがいた。少し目を開けたところで声をかけてみた。大きな目を開けてきょとんとした感じ。しばらくすると状況が飲み込めたのか大声で泣き出した。辛かったんだろう、心細かったんだろう。おみさんと交代で声をかけてよく頑張ったとほめてやりました。しばらく泣きじゃくった後落ち着きを取り戻し、またすやすや眠り出しました。

今回の再手術では念には念を入れて色々チューブが付いたままとなった。遺ろう、腸ろう、ドレン、尿管、点滴(首)、点滴(腕)、等々これでもかと言うほどチューブにつながれている。胃ろうと腸ろうは前回のようにお腹が張った場合にガス抜きをするのに功を奏している。前回のように張ることもなく本人も楽そうで、前回よより落ち着いているというのも皮肉だ。このうち胃ろうと腸ろうはしばらく付いたままになるだろう。

胃ろうについては実はしばらく悩んでいたのである。マーゲンチューブも長いこと入れているし、それのせいもあるのか痰が出やすいし、本人も鬱陶しいことだろう。一旦胃ろうにして安定を図り自分の口からも楽しく食事が出来る環境を整えてやるのも1つの方法かなどと考えていたのだが、今回思わぬハプニングから胃ろうをすることになった。この際だからしばらくそのまま続けてみてはどうかと思っている。

前回の手術で傷口が少し裂けているのがわかったので今回の縫合は少し深い目に縫合されているらしい。その分当然痛みも強くなる。ここ2.3日が辛いだろう。おみさん曰く、今日は泣いていても泣き方に余裕がある。昨日の夕方はせっぱ詰まったような泣き方だったとのこと。さすがに母親だ。担当医とも話したが皮下気腫が痛かったのだろう。

後は感染症を併発せず順調に過ごしてくれることを祈るばかり。親も風邪など引かぬように気を付けなくては。

§2 !余談。

ICUに初めて入った。

ナルちゃんは人工呼吸器に繋がれていました。僕たちの声に反応してか、お口が動きました。

ボクの父が入っていたとき繋がれていた人工呼吸器のイメージがあって少しイヤだったのですが最近の人工呼吸器はすぐれています。全く音がしないと言っても過言ではありません。

父が死んだ後しばらくあの音が耳から離れなかったのをおぼえていたので少し気が楽でした。

また、最近の呼吸器は時々ある自発呼吸の邪魔をしないようにセンサーで制御されているようです。医療技術の進歩にも驚かされます。

病棟からICUへ案内してくれた看護婦さん。夜勤に入る2名のうちの1名、どうやらベテランと新米がコンビになってるようで、その新米さんが送ってくれました。

ICUでは2回履き物を替えます。2回目の履き物を替えて中に入ってから割烹着のような衣服を着用して、頭には頭巾をかぶりマスクをして入ります。

新米の看護婦さんは知らなかったようで、2回目の履き物を替える外まで割烹着を持ってきてしまいました。僕たちも知らないのでそこで着替えて、それから履き物を替えることに。その間気を利かした看護婦さんはちょっと呼んできますなどと言いながらズカズカとICUに入っていきました。手も洗わずに!

途中で止められて帰ってきたようです。ICU担当の看護婦さんに怒られながら出てきたのですが、僕たちの手前あまりきつく怒ることも出来ないICUの看護婦さんはすごく困った様子でした。

ボクは、もう一度着替えましょうか? と尋ねましたが、まあいいですから手を洗ってマスクと頭巾をしてくれと言われました。ちょっといいかげんな気もしましたが・・・・・

どうせなら完璧に厳格であって欲しい気がしました。

ICUでは小さなナルちゃんでも一人前のスペースが要ります。あらゆる生命維持装置が並んでいます。少しのエラーでも敏感に反応するように出来ているので、意図せずブザーが鳴ることもしばしば、看護婦さんたちは慣れているのでサッとリセットしてしまいます。我々にしてみれば何があったのかちゃんと確認してからリセットしないの、と不安になります。昔の国鉄みたいに視差称呼してくれると安心なのですが。また、そう言ったことからケアレスミスが防げるのにと思ったのでした。

医者の世界は序列が厳しいのか、それとも上司によって違うのかわかりませんが、これまでの2回の手術で、実際の執刀医と説明してくれる医師が違う人でした。考えてみるとおかしな話ですよね。実際に執刀した人が一番わかっているはずです。

何事もそうですが、例えば自動車を車検に出したとして、実際に整備した人は次に起こりそうな修理が予想できます。でもお客と話をするのはセールスマン、当然細かい話まではわかりません。例えセールスマンが話す場合でも整備士が横にいるべきでしょう。それが顧客へ安心を売るという事だと思うのですが、例えが悪いかなぁ?

最初の手術の時は横に執刀医が居ましたが