2001年12月10日(月) [長年日記]
§1 朝からハルちゃんを送っていった。
寄宿舎の先生に様子を伝え、帰りにWindowsNetworkのサポート先へ出向いた。サイトの更新をしたら全部消えてしまったというのだった。
FTPで接続したらファイルは見えている。どうもおかしいので廉たるサーバーの会社に連絡、間違って一つ上のディレクトリにミラーリングアップロードしたようで、本来のディレクトリのファイルが全て削除されたのが原因だったようだ。
家に帰って昼食をしているとおみさんから電話があった。内容は病院で起こってはならない事が起こってしまったというのだ。
高栄養ミルクを注入するのに、胃ロウではなく腸ロウに入れてしまったというのである。おみさんが気付いて猛然と抗議したらしい。当然のことである。幸い同じ消化管のチューブだったので大事には至らなかった。有ったとしても下痢くらいで済んだだろう。とは言うものの、術後の弱っている体に下痢を起こさせてしまっては、良くなるものも良くならないかもしれない。重大なミスである。
また、間違って血管にでも入れていたらそれこそ命に関わる問題である。結果はともかく、起こったことは間違いなく医療過誤である。今夜病院へ交代に行く予定だが、改善策が出来ていなければ当然抗議するつもりで、抗議文と要望書を作って出かけた。
病室に着くといつもの光景があった。特に変わった様子はないようだった。おみさんから事情を聞いて問題点などを話し合った。しばらくして病棟のNo.2が謝りに来た。
起こしてはならないことを起こしてしまい申し訳ないと言うことであった。一つ間違えば命に関わる問題であると言うことも認識しているようであった。当然と言えば当然だ。
そのNo.2は自分が起こしたことではないものの、涙ながらの謝罪と説明だった。看護婦全員で話し合いを持ったこと。どうすれば防げたか、2度と起こさないためにこれから何をするかの説明を受けた。すでにその作業に入っていることも聞いた。
この説明がないと、うかうか付き添いしていられないし、看護婦がすること全て付き添いが点検しなくてはならなくなる。気が気ではないのだ。
ただ、今こうして出来ていることがなぜ事故が起こる前に出来なかったのかと言うことが残念でならない。
しかし、実際にミスを犯した看護婦だけをせめてはイケナイとも思った。個人がせめられるものであっては事故のもみ消しにつながってしまう。その点もふまえて病棟看護婦全員の責任であることを認識して欲しいと伝えた。
今回の教訓をふまえ、今一度作業の点検をしフェールセーフのあり方を再検討するという返事があった、本人にも気のゆるみや隙があったのではないかどうかを再考させるという話があった。
実際には世間で医療過誤が取り上げられるようになって、医療用器具もかなり改善されている。今回の場合も胃や腸に入れるチューブと血管に入れるチューブでは明らかに形状が違う。したがって胃に入れるはずのものが血管に入る可能性は、故意をのぞいて不可能に近い。
ナルちゃんの場合ドレナージには3方活栓が無く、ドレナージに入れてしまう心配もなかった。ただ、腹膜炎の治療でドレナージの洗浄を頻繁に行っているような場合はドレナージにも3方活栓が着いている場合も考えられる。そんな場合間違って胃に入れるものをドレナージに入れてしまうと再び腹膜炎になってしまい、命を落としかねないのである。
とは言え、扱うチューブを間違うと言うことは、物理的な構造もさることながら心理的な面での確認作業に問題があったことは否めない。主治医でさえ視差称呼して確認している。これは基本中の基本です。
かくして、チューブ類がきめ細かに整理され、胃ロウからの注入の際には看護婦二人で確認してはじめることとなった。
看護婦という仕事は非常に重要な仕事である。手術をした場合、手術よりも術後の管理の方が大事だからである。術後の管理次第で全てが決まると言っても過言ではないだろう。
どんな職業でも言えることだが、向き不向きというものがある。自分で見極めて、もしくは周りがさとして、その職業から身をひくことを考えるのも大事なことかもしれないとも思った。