ハルちゃんとナルちゃんのおいたち


養護学校入学

養護学校の見学に行ったあと担当の先生が早速療育園まで春菜の様子を見に来てくださいました。実際に入学するときにどのクラスに割り当てるか決めるためです。

向日が丘養護学校では障害の程度によってクラス分けされています。重度な子供ほど若いクラス。 どのクラスになるのだろうと思いを巡らせていました。

その当時大阪府に籍を置いていた私たちは春菜を京都の学校へ入れるために引っ越ししなければなりません。就学が決定する前には住所が変わっていないと受け付けてはもらえません。がしかし、妹の成美は大阪府の療育園へ通うことになります。いったいどうなるのだろうと思っていたのですが案外道は開けるものです。

学校に通うには当然学校教育法がからんできます。各自治体にその運営は任されているのでその自治体に住んでいるのが条件ですが、療育園は児童福祉法の管轄で住所がどこにあっても実際にその自治体に住んでいる児童は療育の対象となると言うわけです。つまり両方の条件を満たすためには、戸籍上の住所は京都府に、実際の住まいは大阪府という何とも不思議な環境に置かれることになりました。

その当時我が町、大山崎町の教育委員会で就学担当されていたのは僕が小学校の時の教頭でした。また、教育長が僕が小学校から中学校に掛けての校長でした、そして実際に手続きをしていただいたのが幼なじみ。(超ローカル)そんな事が影響したかどうか分かりませんが、大変親切にしていただき就学決定のぎりぎりまで猶予をいただいて春菜が就学する年の1月に籍を移しました。

そんなこんなでなんとか就学にこぎ着けた春菜です。クラスは1組でした。療育園の先生にそのことを伝えると「えーっ! 春ちゃん 1くみ? ちょっとショック!」っと言っておられました。

春菜が入学する前の年、向日が丘では2人のお子さんが亡くなられたそうです。しかもかなり重度なお子さんだったようです。そんなこともあって学校側もかなり慎重になっていたようです。また、突如入学の決まったお子さんがおられて急遽クラス編成を余儀なくされ 検討の結果まるでところてんでも押し出すように春菜が1組の押し出されたのでした。本来なら2組だったようですが、学校側曰わく徐々に様子を見て行こうというのが第一の理由で1組になったようです。

この当時我が子の障害の程度に敏感だった親にとってなんだか納得のいかない話し、やりきれない思いがあったのも事実です。でも、後々考えると春菜にとってはちょうど良かったかもしれません。そしてこのクラスになってすばらしい出会いがありました。産休でお休みの先生に代わってきておられた講師の先生。今でもお付き合いいただいています。

2004年07月13日 14:08更新