春菜が2年生の春、進級とともにクラス変えがありました。このときはさほど気にしていなかったのですがこれが後に大問題となるのです。向日が丘養護学校では障害の種類と程度によってクラスが編成されています。
このことは以前にも書きましたが春菜は1年生の時は1組でしたが、2年生になったらなんと4組になっていました。ずいぶん進歩したものだと喜んだものでした。ところが本人にとっては急激に環境が変わり、とまどいがあったようです。
そういえば小さい頃は少し場所が変わっただけで寝付けなかったり、泣いてばかりしていたものです。そんな春菜にとって親が思う以上に大変なストレスのようでした。
また、人になれるのにも時間がかかる春菜にとって一番の問題は担任の先生がすっかり替わってしまうことでした。食事の時にもかなりの注意が必要でした、ちょっとした刺激ですぐに戻してしまいます。一年生の時の先生も一年間かけてやっと春菜になれて貰ったのにその成果を生かせるクラス編成になっていないのです。食事の時だけは何とか一年生の時の先生が付いてくださいましたがそれ以外は春菜も先生もまた、1から出直しです。こんなことで子供の成長を助長して少しでも伸ばそうという体制になっているのかはなはだ疑問でした。
結局一年生の時と同じことの繰り返し。2学期頃からやっと慣れてきて春菜らしく過ごせるようになりました。毎年毎年一学期を無駄にしているようでは子供の成長など望めるはずがありません。このことはかなり重要にとらえていたので、先生方にも重々お話を聞いていただきましたが。3年生にあがるときも同じことになりました。2年生の時の先生は誰一人春菜には付いてきてくれませんでした。
子供の成長には節目というものがあるようで、特に障害のある子供にとってはその節目が顕著に現れるようです。小学3年生くらいにその節目が来るようでうまくいけば一気に成長する子供も少なくありません。また逆に一気に後退してしまう子供たちも同じく少なくありません。
この大事な時期に子供の成長を阻害するようなクラス編成を平気でする学校にははっきり言って不信感を覚えました。成美の時もまったく同じ。いったいなにを考えているのかとますます不信になりました。成美の場合は教室の雰囲気も本人にとっては大事な要素で、ほかのクラスにいくと緊張してなかなか本来の力がでません。ところが自分の教室に帰ると一気にリラックスして笑顔がでるほどです。また、お気に入りの先生がいて、その先生と一緒の時は安心できるのです。
ところがこれも成美が3年生にあがるときまったく放り出されるようにすっかり教室も先生もすべてががらりと変わる状況に放り込まれました。2年生の時の担任は学校側にかなり食い下がっていただいたようですが、それでもどうにもならなかったようです。学校へ行きだしてから徐々に緊張が出てきて今まで出来ていたことが出来なくなってきている成美のとっては試練の年だったことでしょう。
これは親にとっても大変な試練でした。せっかく一年かけて子供のことを覚えて貰ってやっと学校に行っている間は手を放れてくれるのに。新学期になるとしばらく子供について先生に覚えて貰うまで前年と同じ説明を繰り返すことになります。何という無駄でしょう。引継はちゃんとしておきましたといわれても細かいニュアンスまで伝わるはずがありません。何回も何回も同じことを聞かれる親の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。
これ以上黙っているのは親として成美に申し訳なく3年生の時懇談会の席で思いの丈をぶちまけました。新しいクラスの担任の先生が謝ってくださいましたが先生を攻めているわけではありません。学校全体としていったいなにを第一に考えてクラス編成をしているのかということが一番言いたかったのです。僕は障害を持つ子供たちが通う養護学校なのだから当然子供の成長を第一に考えてクラス編成をしているものだと思っていたからです。
すべての人が思い通りのクラスになることは不可能でしょう。しかしそれなりの配慮は出来るはずです。特に環境や人になれるのが苦手な子供たちに急激な変化を余儀なくされるクラス編成はどう見てもおかしいと思うのです。成美は今4年生。3年生の時かなり強く希望を言ったので成美のことをよく知っている先生が付いてくださいました。しかし、5年生にあがるときがまた問題です。同じことが起きないように願うばかりです。今でも低学年の3年間成美の成長にとってかなり厳しい条件であったことは確かです。親として成美には申し訳ない気持ちでいっぱいです。そんな思いをする親御さんが一人でも減るような対応を望むばかりです。