1999年08月13日(金)
_ 今日からNOBさんはお盆休みです。
やっぱりお休みは気分的にゆっくりします。 お供えを買いに出掛けるつもりがいつの間にか夕方になってしまい 明日の午前中に行くことにしました。 NOBさんはエレベーター内の敷物を洗ってくれました。 暑そうな日差しの中、ホースの水はキラキラとまぶしくて気持ちよさそう。 遊びではないのだけど なんだか戯れたくなりそうな、そんな気分で窓から眺めていました。
2000年08月13日(日)
_ ...お盆ですね
NOBさんは仕事に出かけましたが 午前中には終わって今日から16日までお盆休みに入りました。やっぱりお休みとなると気持ちがかる〜くなってうれしいものです。
昨夜はNOBさんがナルちゃんと寝てくれて 私はハルちゃんと寝ました。 NOBさんは早朝から...たぶん5時頃かな、ナルちゃんがグズグズ言うのをうまくやり過ごして 7時頃まで付き合ってくれました。 おかげで私も今朝は7時までグッスリ眠れました。
さて明日はNOBさんの実家へお盆のお参りに行き、16日は私の実家へお参りに行く予定です。今日はそれぞれの実家へのお供えの品を買いに出かけました。 誰も考えることは同じなようで 出かけたお菓子屋さんはお客さんでいっぱい。 もう少し早めに買っておけば良かった...そう思うのは今年が初めてじゃないです。毎年そう思っているのに結局ぎりぎりになって また同じ事を繰り返してしまいます。 それにしても お店に並んでいるお菓子のおいしそうなこと... よけいなモノまで買っちゃいました。
2001年08月13日(月)
_ 友、キタル
「8月のはじめから4日までの間に遊んで〜。」などとメールをよこして その後連絡も無く 結局遊びに来なかった失礼な友だちが遊びに来ました。「予定を開けて待ってたのに!」と、少々オーバーな言い回しでブツブツ文句を言いました。友だちは申し訳なさそうに「ごめん...」と。ま、おいしいお豆腐と 生の桜えびと おみやげに持ってきてくれたから許してあげたけどね。
2003年08月13日(水)
_ [春ちゃん]再び歯科へ
食事の度に怒っている春ちゃん。泣くし、筋緊張で椅子には座れず抱っこも不安定だし、食事の量もこんな状態では充分摂れないし、精神衛生上よくないし。親の方もそろそろ胃が痛くなりそうな状態。いったいどこがどうなんだろう?やっぱり口の中か?前に一度歯科で診てもらったけれど はえかけの歯で口の中を噛んでしまっていることがわかり、それは完全にはえてしまえば解決することでした。あと、歯石をとってもらって一応終わりました。
でももう一度じっくり診てもらうことにしました。お盆休みも始まるのでとにかく今日行かなくちゃ。機嫌の悪い春ちゃんを一人で連れて行くのは無理なのでNOBさんと私と2人がかりで行くことにしました。そこで成ちゃんをどうするか..。さっそく預かってもらえる人もなく結局4人お揃いで歯医者さんへ...(^^;) 成ちゃんの調子はまぁまぁでつれていけそうだったから良かったものの、何かにつけてうちは毎日が綱渡りのような生活で本当に心細い..。
結果、特に痛みがでるような箇所はないけれど、虫歯になりかけの小さな黒い点があったので削って詰めてもらいました。たまにこんな所が痛んだりすることもあるんだとか。とりあえずあとは様子を見ることになりました。
この間の春ちゃん、歯医者で削ったり詰めたりの治療は全く初めてなので泣く泣く。終わって家へ帰るまでの車中でも。帰ってしばらくしてからようやく落ち着き始めました。ふぅ...。
治療後の初めての食事は昼食。さてどんなようすかな?と見ていると少しはおとなしく食べることができました。でもそれはひょっとすれば泣き疲れていたからかもしれません。しばらく様子を見ることにします。でもどうか、これで調子良くなってくれますように!懇願!
お付き合いしてくれた成ちゃん。いつもはどちらかというとお姉ちゃんに付き合ってもらう方なのですが今日は逆。とても協力的で助かりました、ありがとう。
2004年08月13日(金)
_ お別れ
NOBさんの仕事の大先輩のお葬式がありました。もうずいぶん前に退職されていましたが NOBさんとしては長いこと一緒に仕事をして来た方なので淋しさはひとしおだったと思います。たくさんの経験をされている人生の先輩とお別れしなくてはいけないということはなんというか、大事な宝物をなくしてしまったような気がします。
_ [春ちゃん]食事がうまくいかない
どうも、「ハーハー」...と言う表現が一番合うと思うのですが 知らない方にはわかりづらいでしょうね。上手にゴックンができないのか、タンの刺激でか、はたまた他に何か刺激になるのか、要するに吐きそうになってしまうのです。小さい頃から嘔吐反射が強くて ゲップやあくびが刺激となって吐きやすかったのです。それが今でも調子が悪かったり 今のように夏バテのような調子だと吐きやすくなってしまいます。ちょっとでもたくさん食べてスタミナを付けて欲しいと思うのですが 親の気持ちばかりが空回りします...。秋になって過ごしやすくなると「夏の食欲不信がウソのように」食欲旺盛になるというパターンが多いのですがさてどうでしょうか。秋... 楽しみなような不安なような...。とにかく、秋にならずともしっかり食べられるようになってほしいなぁ...。
2006年08月13日(日)
_ お盆です
いつもは15日に実家にお参りするのですが 親戚の仕事の都合なんかも考えると今日が都合が良いなと言うことで 実家へお参りに行きました。親戚が集まって賑やかなひとときでした。夕方にはお精霊さんをお迎えしてお仏壇の前に果物や野菜やお菓子などのお供え物をします。 そして幼い姪っ子達には「ご先祖様がたっくさーん帰ってきたはるのよ。賢くしてるかみてはるよー。」などとかつて自分が言われてきたことなんかを言ってみます。神妙な顔の子どもたち。 成ちゃんもお仏壇の中のお灯明に惹かれたらしく ずっと不思議そうな顔をして見つめていました。
今年も楽しいひとときを過ごせて良かったなと思います。 母も元気そうでなにより。みんな仲良く過ごせるのは幸せですね。
2007年08月13日(月)
_ 時を経て巡り逢わせ
お盆のお参りに実家へ行きました。いつものようにかしわのすき焼きを振る舞ってもらっておいしく、楽しく過ごしました。
母が床の間に飾られている掛け軸の絵について語り始めました。
黒い絵の具か、墨で描かれている絵は 今は亡き私の祖父が戦争中、インパール作戦でビルマ(ミャンマー)にいた時のものだそうです。収容所にいたときにイギリスから綿のハンカチが支給され、祖父はそのハンカチで汗を拭ってしまったらそれまででもったいないと思ったようです。同じく捕虜として絵描きさんがおられることを知った祖父は その方にハンカチに絵を描いていただくようお願いしたそうです。絵描きさんは快く引き受けて描いてくださったとのこと。絵はどうやらビルマの街中を描いたもののようで 女性数人が頭の上に荷物をのせて歩いていて 水牛が荷物を運んでいたり 周りには木が伸びていて 遠くにはパゴダが描かれているものでした。ハンカチに描かれているので 絵の具だか墨だかが じんわり滲み、それが柔らかい印象になっていました。
祖父は日本にこのハンカチを大事に持ち帰り 表具屋さんで掛け軸にしてもらったそうです。そして夏になるとこの掛け軸を床の間に飾り、祖父はその前に座り静かに眺めていた、とのこと。
きっと この絵描きさんの事を懐かしく思い出し 安否を気遣っていたのかも、そしてまた戦地でこのハンカチが祖父の心を癒してくれたことなども思い出していたのではないでしょうか。
母はその絵描きさんが今、どうしておられるか気になるらしく できたら絵を描いてくださったお礼と、掛け軸にして今も大切にしています、と言うことを父に代わって伝えたいと言うことでした。
それならネット検索してあげるからと、デジカメにとって家に帰って調べてみました。
その絵の右上にはなにやら読み取りにくい文字が書かれていて どうやら描かれた方のお名前が「蘇順泉」という方らしいのです。検索するとわずかにヒットしました。「松島 蘇順泉」さんと言うことがわかり、この方の経歴も少しわかりました。残念ながらお亡くなりになっていました。正直ビックリでした。趣味として絵を描いておられたらきっとヒットしないだろうなぁと思ったからです。埼玉出身の方でした。その後も絵をずっと続けておられたようでした。
また、その方の油絵が載っていたのですが「東南アジアの祭」という題名でまさしく実家の掛け軸と大変よく似た構図とタッチだったので とても感動しました。なんて言えばいいのか複雑ですが「過去と現在と人とがめぐりめぐって繋がった」みたいな。
そして名前の前に書かれていた文字は「緬甸 寸情」で 「ビルマ 心ばかりの贈りもの」という意味らしいのです。
きっと心を込めて描いてプレゼントしてくださったのだなと、その時の情勢を絡めて考えるとまた感慨深いものがありました。
さて、ご本人はもう亡くなられているので せめてご家族に連絡が取れたら嬉しいなと思うのですが、どうなりますやら。なんとかして祖父の想いと母の想い、それに加えて私の想いも届けたいなと思うのです。
万が一、私の拙いこの日記を 蘇順泉さんのご家族が目にしてくださったらどんなにうれしいでしょう。御縁があるなら そして 私たちの想いが強ければ 巡り逢うことが出来るかも。
そう祈りながら いろいろ手だてを考えみることにします。
2012年08月13日(月)
_ [成ちゃん]お逮夜、最後でした
17日、金曜日は、六七日。最後のお逮夜でした。
御詠歌をあげていただいたあとに、お食事をしていただきました。
この日のメニューはひよこ豆と野菜のカレー、春雨サラダ、だし巻き、枝豆、ヒジキの煮物、でした。
画像にはメインのカレーはまだ写っていません。これから並ぶところです。
毎週、金曜日に11~12人にお参りいただき、お食事をしていただきました。
最初は大変だと思いましたが、みなさんに助けていただいて、そして、成ちゃんのために集まって下さっていると思うとありがたくて、がんばることが出来ました。
ほんとうにありがとうございました。
大勢で食事をするのは本当に楽しくて、きっと楽しい雰囲気は成ちゃんにも伝わっていて、そっと参加していたのではないかなと思います。
1週間後はいよいよ四十九日法要です。
_ [はるなる]なんとか予定はクリア
昨日は朝6時から、三兄弟家族そろってお墓の掃除、お参りでした。 朝、涼しい内にとの魂胆ですが、昨日は曇りがちだったので、思ったほど暑くならなかったので助かりました。 お花も飾って、スッキリ。十念をあげてご先祖様と春ちゃんに日頃のご報告と感謝を伝えました。 帰りにお寺によって、施餓鬼の申し込みをして帰りました。
お昼前にはお客様。
先日、春ちゃんのことを初めて知って、お参りに来て下さったばかり。今度は成ちゃんのお参りにまた、足を運んで下さいました。 祭壇の前でポロポロと涙をこぼしてくださっていました。
成ちゃんがまだ小さい頃に来て下さっていて、その時に「成ちゃんはまるで天使みたいで、ずーっと見ていたいと思った」、と仰っていました。
そんな昔の成ちゃんのことを今もずっとおぼえていて下さっていたなんて。ほんとうにうれしかったです。
お客様をお見送りしたあとは、やや睡魔を感じながら、昼食をとり、ひと休みしてから、今度は私の実家のお墓参りへ。その前に2ヶ所ほど、用事にたちよりました。
実家のお墓には、百日草が地生えしていたのですが、どうやら去年わが家に咲いた百日草をお供えした花からの、こぼれ種が育ったようです。まるで、孫にでも出会ったような感激を憶えました。
お墓参りのあとは実家のお仏壇のお参りへ。本来なら、お盆にお参りするべきなのでしょうが、ちょっと都合が合わなかったのです。 実家では母も元気そうな様子だったのでひと安心。
実家をあとにして、今度はスーパーでお盆のお供物の買い物に。仏花や蓮の葉などは少しでも新しい方が良いので、また明日も買い出しです。 もうすでに疲れ果てていたので、帰ったらすぐに食べられるものを買って帰りました。・・・おっと、もう一件、立ち寄ってからわが家にたどりつきました。
お盆と、四十九日の準備とが重なるとかなり忙しいです(^^; でもこの忙しさが無くなると、淋しさだけが残るのかも知れません。それも不安です。
_ [はるなる]そして今日は・・・
また朝から買い出し少々。 お昼前に、お参りのお客様。 成ちゃんが大変お世話になった方でした。
成ちゃんの思い出話をたくさんしました。 アルバムも見ました。 悲しいけれど、楽しいひとときでした。
ちなみに、NOBさんはアルバムはまだ見ることができない、と言っています。私は成ちゃんに会いたくてアルバムを開きますが、途中で辛くなってきて、やめてしまいます。
お客様が帰られたあとはお昼ご飯を食べて、ひと休みして、お盆のお供えをしました。 仏壇の前に小さなテーブルを用意してお供物をします。 そして、お膳を準備します。 お仏壇の準備が整ったら、夕方涼しくなってから、お精霊さんのお迎えにわが家から徒歩3分ほどの川縁にでかけ、お線香をつけてわが家に迎え入れます。 これで、お迎えの儀式は終わりました。
なんとなく、お嫁に出した娘が帰ってきた気分ってこんなのかなって思います。 春ちゃんと成ちゃんが、お仏壇と成ちゃんの祭壇がある部屋で、仲良く語らっているんじゃないかなと思います。 微笑ましいような、嬉し悲しいような複雑な気分です。
明日は棚経。お坊さんのお参りです。
♪ まりんば [めぐり合うってすごいですよね。 是非この続きどうなったのか必ず教えてくださいね。 探偵ナイトスクープはいかが?]
♪ おみ [まりんばさん、こんにちは。お盆にこんなお話が出てきて、これもおじいちゃんからの引き合わせなのかなぁなんて思います。そ..]