2018年10月11日(木) [長年日記]
_ [はるなる]林 ともこさん 講演会 at 大山崎ふるさとセンター
林 ともこさんの講演会・「命のメッセージ 今日一日を命いっぱい 娘たちと生きる」でした。
主催は夫も属している「大山崎町民生児童委員協議会」。
結果から言いますと 大・大盛況のうちに終わりました!
一般参加(受付名簿から)が99名、民生委員が33名、合計で130名を超える参加となりました!
平日に、この小さな大山崎町でこの人数は驚異的ですね。
あぁ、よかったなぁ・・❤️
このお話しが決まったとき、こんともちゃん(林ともこさん)の講演は今まで2回聴かせていただいてきて、何より大切なことを教えてもらってきたのでぜひぜひ、たくさんの方に聴いていただきたかったし、大切な友達として力を尽くして応援したいと思っていました。
民生委員会のほうでは、美しいチラシをたくさん用意してくださっていたので、ひたすら配布・・。
大山崎町を中心に、各学校や保育所やお店や、知り合い、掲示、戸別配布・・。
重複してもとにかくたくさん目にしていただくことが大事だと思いました。
まずは集まっていただくこと・・。
そして、期待通りというか、予想通りというか、講演会でのこんともちゃんのお話しはたくさんの方の涙と感動を呼び、聞き終えられたあとはおそらく、清々しさに似たものを感じられたように私は感じました。
夫が講演会準備のため、こんともちゃんと連絡を取り合っている中で、「講演の中でギターでBGMとして一曲と、さらに一曲演奏をお願いしたい」とありました。
BGMにはわたなべゆうさんの「Airblanket」を、そして演奏曲として「ガーベラ」を弾くことになり、いつも以上に練習を重ねました。
「Airblabket」はレッスン課題曲として前に練習していましたが、しばらくこの曲は休んでいました。
でもちょうどまたこの曲の練習を再開した矢先のことだったので、このタイミングに驚きました。
どうしても一箇所、弾けない所があってイライラもつのってきていたのですが、なんとか講演会の二日前くらいから克服できました。
と言うことで、当日はこの二曲で望むつもりでいました。
大好きなこんともちゃんのこの講演の成功のためには、こんともちゃんからの要望やご依頼(無茶ぶり含む)はすべて飲む覚悟で(大げさ)望んでいました。
実は当日になって、リハの時にさらにもう一曲、「この場面でなにかBGMを弾いて欲しいんだけど・・」とのこと😯
大丈夫😅
私が弾けるわずかなレパートリーの中、もう一曲「The Rose」があったのです。
もちろん、OKです。
そんなやりとりをしながら本番となりました・・・。
始まるや否や、スクリーンに映し出された娘さんの「明音ちゃん(あかねちゃん)」の写真と、こんともちゃんのお話しでたくさんの方が涙されている様子が伝わってきました。
先天的な心臓の病気で10回以上の手術。
それを支える家族のみなさんの温かさとたくましさ。
明音ちゃんがどんなに辛いことや痛いことがあっても、最後にはいつも笑顔だったことが驚きと感動でした。
きっとそれは このご家族の明るさをすべてで受けておられたからなのでしょう。
ステージの端でギターのスタンバイをしながら、時々スクリーンを見て、泣きそうになっては堪えていました。
こんともちゃんのお話しに聴きいってしまうと号泣してしまってギターを弾けなくなるので冷静を保つのに大変でした。
そうでなくても、ギター経験は約4年、人前で弾かせてもらうなんて正直おこがましくて、申し訳ないくらいです。
なので緊張もするので、お客様席は見ないようにして、そしてこんともちゃんのお話しにも聴き入りすぎないように・・。
あとでゆっくり動画を見ればいいし・・。 (しかし残念ながら 夫は忙しすぎて撮影準備ができていなかった・・(T_T))
でも。
もう2回、こんともちゃんの講演を聴かせていただいているので、耳というよりは、肌がその感覚を覚えているというのか、前に聴いたお話しにはすぐに反応して涙しました。
今日伝えたいことは今日のうちに・・それは私たちの娘からも教えてもらった大切なこと。
思いやりとは想像すること。
人の言葉には鈍感に、自分が発する言葉には敏感に。
ふとした経験が 明音ちゃんへの想いへと繋がることから、人への思いやりに・・。
明音ちゃんの体からお別れをする日の辛い気持ち。
虹の奇跡。
水は循環してまた戻ってくる、娘の涙や体から出た水にまた会えるかも・・。
みんなでひとつの命を生きている・・。
ダメな子なんてひとりもいない、みんなはなまるの子。
・・・
そんなお話しが体に響いてきました。 押しつけがましくなく、自然に受け入れられるお話しです。
考え方の転換というか 物事にはいろんな側面があって、いろんなとらえ方ができますが、こんともちゃんはそれがとても心優しく、愛情深い受け取り方をされます。
落ち着いた優しい声で、優しい表情で、しなやかな手振りで、そして力強い。
そんなこんともちゃんの講演の最初にはこんともちゃんとわが家との出逢いと、中盤には「ガーベラ」演奏前にわが家の娘のことをお話しする時間も組み込んでくれました。
恐縮しながらも、ありがたく少しだけふれさせていただきました。
あぁ。
私の力量ではここでこんともちゃんのお話しを伝えきれないことがとても口惜しいです。
どうか、こんともちゃんのそのままの声を、表情を、呼吸を、感じて欲しいです。
人生でかけがえのない時間を過ごせた喜びを感じることができると思います。
もしも、また林ともこさんのお話しを聴く機会に巡り会われたらぜひ、お出かけくださいね。
なんなら、講演会を企画されるのもよろしいかと!
講演会の後、こんともちゃんはこの日の講演をとても喜んでくださっていました。 会場に入るなり、その場の温かさ、迎えてくださった皆さんの温かさを感じられたのだそうです。
終わってからはみなさんが「こんともちゃん」と呼んでくださり、「ハグの嵐」が吹き荒れました(笑)
こんともちゃんにとっても良い時間を過ごしていただけたようで 本当によかったですね。
民生委員のみなさま、大変お世話になりありがとうございました。
足をお運びくださった皆様、来たくても来れないけれど、見守ってくださった皆様、ありがとうございました。
共に喜び合えることに感謝です。
・・・この日、写真はわずかしか撮れませんでしたが、送って下さった写真を載せさせてもらいました。
どうもありがとうございました!
あ、大切な人に言うの忘れてた!
林ともこさん、みんな一緒に幸せへ近付くための道案内、ありがとうございました❣️
_ [はるなる]林ともこさんの講演会が終わって・・。
講演会の中で、こんともちゃんとの出逢いを紹介しました。 その原稿です。
...........
【2011年 12月 4日、その日も配信されてきたメールマガジンを読んでいました。
それは金沢の養護学校の先生をされていた山元加津子さんという方が書かれ、配信を希望した人に毎日一斉送信されてくるメールです。
そこではいろんな人との出逢いがあり、支え合える情報などを送って下さっていました。
その日の山元さんから送られてきたメールに、「こんともちゃんの娘さんである、あかねちゃんがとてもしんどい状態なので、どうかあかねちゃんの命を守るために みんなでお祈りをお願いします。」と書かれていました。
この時はこんともちゃんが林ともこさんと言うお名前だとはわかりませんでした。
このメールを読んで、私たちの娘達もたくさんの危機を 必死の祈りと共に超えて来ていたので、こんともちゃんと言う人が どこのどなたかはわかりませんでしたが どうか、回復されますようにとお祈りしました。
翌朝、悲しいお知らせがメールで届きました。
山元さんのやるせない悲しい気持ちと、こんともちゃんからのご報告と お祈りくださったみなさんへの感謝の気持ちが綴られていました。
そして 山元さんのご提案で、「今夜8時にあかねちゃんと こんともちゃんへ想いを込めて 『満天の星』をみんなで歌いませんか」と書かれていました。
「満天の星」は山元さんが作詞・作曲をされた歌でした。 ネット上で歌が紹介されていました。
このメールを読み、私たちも春菜を亡くしたあとだったので、まるで自分の事のように悲しく、胸が傷み、いてもたってもいられなくなり その想いをメールで送りました。
そして夜8時には「満天の星」を、あかねちゃんが安らかに旅立たれますように・・と想いを込めてみんなで声を合わせているつもりで 自宅の居間で歌いました。
その後、2014年から始めたフェイスブックで これもまた、山元加津子さんのフェイスブックを通して、ふと目にした記事がどうやら、こんともちゃんではないかと気づき、読み進めていくとやはりそれがこんともちゃんだとわかり、この時に初めて 林ともこさんと言う人だとわかりました。
この出逢いは きっとお互いのお空の娘たちの計らいだったのではないかなと思っています。
それから急接近でき、たくさんの講演会をされていると知り 2回聴かせていただき、命に関わる大切なことを 優しい言葉で分かりやすく、しかも力強く伝えて下さってとても共感でき、感銘を受けました。
この素晴らしい講演をたくさんの人に聴いてもらいたいと思っていたところ、大山崎町民生児童委員協議会で研修会をするにあたり、講師をどなたにお願いすればいいか考えておられると言うことでしたので、ぜひ、林ともこさんをお願いしたいとご紹介させていただきました。】
_ [はるなる]林ともこさんの講演会が終わって・・その2
講演会の中でギター演奏をしてほしいと、こんともちゃんがリクエストして下さった「ガーベラ」という曲。 演奏前に、娘たちの紹介と演奏曲「ガーベラ」について夫からお話ししました。 その原稿です。
・・・・・
【長女の春菜は障害を持って生まれて来ました。 最初は凄くショックでした。
そして考えたのが自分たちが居なくなった後のことでした。 弟か妹が出来たら助けてくれる、両親が亡き後も安心という想いの中で3才違いで成美を授かりました。
そして、成美にも障害のあることが判ったとき、なんと浅はかだったのかと気づかされました。親が未熟なので二人の子どもを分け隔て無く可愛がるようにと成美を授けられたのだとそのとき初めて気がつきました。
脳性麻痺と診断された春菜と成美、症状は年齢と共に重くなってきて生きづらくなって来ますが、本人たちはそんなこと関係なく毎日を生きようとしています。
親としてできる限りのことをしてやりたい、しておこう、と何時の頃からか思えるようになっている自分が居ました。
春菜と成美は、体調を崩しやすく、特に冬場は風邪を引かさないことに神経をとがらせていましたが、ある年の風邪が原因で春菜は亡くなりました。
その後の成美は、入退院を繰り返し、春菜の死から3年後に亡くなりました。どちらも23歳でした。
最初の3年間は春菜が両親を独占した分、最後の3年は成美が両親を独占して同じ23歳で亡くなりました。そういうシナリオで私たちは生かされていたのかも知れ ませんね。
気がつけば、ふたりは今日一日の大切さを教えてくれ、たくさんの出逢いとご縁を繋げてくれていました、改めてありがとうと言う気持ちでいっぱいです。
ふたりを亡くした悲しみの中、 わたなべ ゆうさんの音楽に出会い、作られる楽曲の美しさ・優しさに魅せられ それから夫婦でギターを弾くようになり今に至っています。
これを生涯の趣味にしようとギターを作っていただくことにしました。そんなギターのヘッドには春菜のイメージの花ヒマワリと、成美の戒名に入っている蓮の花を入れていただきました。そして、毎日だっこして弾いています。
ギターを練習し始めて初めて二人で弾けるようになった曲ガーベラを弾きたいと思います。ガーベラの花言葉は「希望」です。そしてこの曲を聴いてくださった春ちゃんの恩師が曲の中に『はるちゃんなるちゃんと聞こえるところがある』と言ってくださったことからますます私たちにとって大切な曲になりました。】