1999年01月17日(日)
_ 日曜日。
子供達が家にいるので今日もNOBさんの病院へは行けなかった。 でも 電話をかけてきてくれて 話によると明日、退院がほぼ決定とのこと。で、荷物もあるのでお兄さんに車で迎えに来てもらうつもりらしい。あ〜、良かった。バンザーイ!退院ダー! 手術から一週間だけど、もっと長かったように感じる。 子供達も熱を出すこともなく、成ちゃんのお腹も異常なく、無事明日を迎えられそう。 しかし!成ちゃんはなんであんなに泣くのぉ〜! 熱はないし、ご飯はいっぱいすぎるくらい食べるし、抱っこしていたらおとなしいんだけど。 今晩だって結局寝られず、お薬も成ちゃんのパワーに負けてか効かない。せっかくおとなしく寝た春ちゃんも起きてしまったではないか! 人を起こしておいてやっと寝た。午前1時だ。 春ちゃん、今から起きてしまってどーすんのよー? こら、成美、責任をとれっちゅーの! ぶっちぎれた私はこんな時間にケーキと紅茶を頂いている。 どーしょー、春ちゃん、もう私、パワー切れだよー・・・ 今夜も寝られんじゃんかよー・・・
2000年01月17日(月)
_ 激しい揺れで天井の照明がユラユラと揺さぶられ 今にも落ちてくるのではないかと 何がなんだかわからない中で恐怖の数十秒を味わって5年... 私たちの住んでいる所でさえあんなに恐ろしかったのだから 神戸の人たちの恐怖というのはどんなだったんでしょう。 今年も1月17日が近づくと焼け野原になってしまった5年前の神戸の町が 幾度となくテレビの画面に映し出されました。 灰色と化してしまった焼け野原には 人々の驚愕と恐怖と悲しみと戸惑い... そんな物が渦巻いて目に見えるような気がして今でも胸が苦しくなって 目頭が熱くなってしまいます。 3年前に訪れた神戸の町は大震災があったなんてまるで嘘のようでした。 行き交うたくさんの人々、車、大きな建物、綺麗な道路... でも所々に空き地を目にするとハッとしました。 テレビのドキュメントでは私たちの目には見えないところの神戸の傷が まだまだあると伝えています。 震災当時、何もできなかった私。それは今も同じです。 でも こんな事があったこと、今もその苦しみは続いていること、 それらを忘れないで居ようと思うことと、私には何ができるか考えることは続けようと思います。
当時、どこのテレビ局も今思えば悲惨な町の状況を横並びに映し出しているばかり。 臨機応変に局ごとに交通情報、医療情報、ボランティア情報など 情報を分担する事はできなかったのでしょうか。 まぁ、今だから言えることなのかもしれませんがNOBさんとそんな話をしました。
2001年01月17日(水)
_ 6年経ったけど...
阪神淡路大震災から6年が経ったのですね。このところ兵庫県北部には震度3ほどの地震が頻繁に起きているようで 現地の方はさぞかし恐い思いをされているのではないかと気になります。それでなくても 季節が巡って冬の匂いがするだけで恐怖がフラッシュバックされる方もあるのではないでしょうか。6年経って「やっと 少し頑張れるようになってきた...。」とテレビのインタビューに答えておられるおばちゃん...。やっぱり一番大事な家族を失った心の傷と言うものはそう簡単には癒すことはできないようです。
こんな心の傷を負った人に出会ったら いったいどんな言葉をかけたらいいのかな...。ふんばって生きている人に追い打ちをかけるように「がんばって」とは言えない。「なんとかなるよ」と言うのも他人事のようだし...。こちらが心配していることを押しつけたくもないし...。さりげなく応援していることを伝えることが出きれば わずかでも相手の力になれるかなぁ...。「さりげなく」ってところがこれまた難しい。人の心を癒せるのは やっぱり人の心が一番なのでしょうね。
2002年01月17日(木)
_ ナルちゃんのための特性術着
ナルちゃんの体につながっていたドレーンは今こそ、腸ロウ2本、胃ロ1本となりましたが多いときには7本のドレーンが体につながっていました。その様な状態では普通のパジャマなどとても着ることが出来ません。いつもナルちゃんが着ていたのは病院の術着です。肩がマジックテープで閉じてあるので腕に点滴などがあっても楽に着替えができます。でも体中に7本ものドレーンがあるとさすがに術着でも不便。脇があいていないからドレーンチューブを衣服の外に出せないのです。
そこで看護婦さんは考えてくださいました。病棟にあった浴衣の脇を開けたもの。さらには術着の脇を開けたもの。おまけにそれには可愛いキティちゃんのボタンとキュートなピンクのボタン付き。そしてまたまたできあがったのは看護婦さんご自身が着ておられた浴衣を改造したもの、しかも看護婦さんがお家で慣れない手つきでチクチク針仕事をしていたらその手際を見ていられなくなったおばあちゃんが「ちょっとかし、見てられへん。私がしてあげよ。」と..。なんとご家族まで巻き込んだナルちゃんの術着改造騒動だったようです。
そのおかげでナルちゃんはたくさんのドレーンチューブをうまくさばいて着替えも楽々に過ごさせてもらいました。ちょっとでも過ごしやすく、楽になるように、とあれこれ考えて下ったことをとても嬉しく思いました。ナルちゃんのために改造された数枚の術着たちが焼き餅を焼かないようにと 平等に出番を待っています。中には男の柄のものもあるのですがそれはご愛敬。でもそろそろドレーンも減ってこの特性の術着たちとはさよならの日も近いのでしょうか。普通のパジャマが着られる日が待ち遠しいです。
2003年01月17日(金)
_ お買い物日記
今朝、学校へ送っていって先生にお願いします、と預けた時の成ちゃんは不機嫌。泣いていたので その後もそれが気になって..。今日は伊勢丹へ出かけたのですが出かけた時に限ってなにかしらイヤな連絡が学校から入ったりするもんでねぇ..。出かけ先でも何度も携帯電話を確認したりして落ち着きませんでした。でも 取り越し苦労ってヤツでした。成ちゃんは何事もなく帰ってきましたから。よかったー、ほー。。。
この時期、デパートは冬物バーゲン。皮革製品もお安くなっていてほしい物ばかり。ブーツも安いし、バッグも安い。でー、バッグを買っちゃいましたー。今日の目的の品もお安く手に入りラッキー。H.Kuriharaのショップもいつの間に入ってるんですね、今日は見るだけにしましたが キッチンに立つのが楽しくなりそうな品物ばかり。面倒に思えるような家事も工夫次第、そして心がけ次第で楽しくこなす事ができるんですよね。品物を揃えるばかりでなく 自分で工夫して家の事を楽しむ..そうなりたいなと常日頃考えています。おみやげはTopsのケーキとNOBさん好物鯖寿司。その他諸々。↓Topsのケ
キのパッケージだけデス、中身は食べちゃいましたー。
2006年01月17日(火)
_ ひまわり園 グループ別家族懇談会
少人数での懇談会。内容は口腔ケアの事、健康支援についてなど。話せば話すほど 話す事が出てくるという感じ、良い意味で。同じグループと言うことはひまわり園内でも障害の様子が似通っているメンバーで有るとはいえ、やはりそれぞれのニーズも多種多様で それをまとめていくのもなかなか難しい面もあるなと思います。でもひまわり園の職員さんも通っておられるメンバーさんとその家族も、みなさん、園をさらに良くしていきたいという思いは強く前向きです。課題は次々と絶えませんが終点はたぶん無くて、進んでいけば行くほどまた道が前に開けていくんでしょうね、これも良い意味で。がんばりましょ。
2012年01月17日(火)
_ [成ちゃん]お正月気分も終わり
15日、小正月には小豆がゆを食べました。 お正月のお飾りもどんど祭で火に上げていただきました。 お正月気分も一新して、また一年頑張りましょう。 何をがんばる・・・? いろいろ頭に浮かんでは消え、どうせ三日坊主に終わるから・・と諦め気分だったり。ただ、ずっと頭にあるのは、物も時間もとにかく無駄をなくしたいということ。いろんな物をスッキリさせたくてウズウズしています。
さて、今日はひまわり園の訪問日。 書き初めをしましょうということでがんばりました。 とりあえず、半紙に筆を適当に走らせたら「心」に見えてきたので そういうことに(^^; また、適当に書いてみたらまるで龍が飛んでいるように見えたので、そういうことに。天才アーティスト成ちゃんでした。
_ [MJ] この日に寄せて
1995年の今日、阪神淡路大震災が起こりました。
マイケル・ジャクソンは被災者支援にチャリティソング2曲を贈ってくれました。
ジャニーズ事務所は、被災した子供たちの教育の復興を支援しようと、TOKIO、V6、KinKiKidsの3グループによるスペシャルユニット「J-FRIENDS」を結成しました。J-FRIENDSによってマイケルが贈ってくれた2曲は歌われました。
「People Of The World」
作詞/作曲/編曲:マイケル・ジャクソン、日本語詞:秋元康
「Children's Holiday」
作詞/作曲/編曲:マイケル・ジャクソン、日本語詞:松井五郎
いまだに1月になると夜が眠れません、と被災地の方が言われてました。
心の傷の深さを思い知る言葉でした。
歌の力、言葉の力、祈りの力、あらゆる力を使って、辛い状況の人々がそこから抜け出すことができますように。
2015年01月17日(土)
_ この日に・・。
阪神大震災の起こった時間、午前5時46分に合わせて黙祷しました。
わざわざこの時間に合わせて起き出して黙祷するのは20年目にして初めてのことでした。 なんとなく・・、そうしてみました。
私の友達、知り合いも黙祷すると言う意志を確認していたので、まさしく今、この同じ空の下で同じ想いで祈りをささげているんだなぁと思うと共感と人の温かい繋がりを感じました。
と、同時に20年前にこの暗闇の中で巨大地震が起こり、この冷たい空気の中で人々が恐怖におののいたと思うと どんなに凄まじい状況だったろうと泣けてきました。
この感情はきっとこうしてこの時間に起き出して、この暗闇の中で黙祷したからこそわき上がってきたんじゃないかと思います。私の場合はね。 ちょっとでも近づこうとすることって大事なんだなぁと感じました。
「どうか、魂が安らかでありますように。二度とこんな災害がおこりませんように。人々が平和でありますように。」
そう祈ると共に、人は賢いですからこんな凄まじい経験までも力にしながら 智恵をはたらかせ工夫を重ね、命を尊びながらしたたかに生きていきたい・・。
すべてを無駄にしないように・・。
♪ みき♪ [おみさん、こんにちは。 そっか・・・書き初め!!そういえば、墨の匂いが小さい頃から大好きでした。随分と筆を持っていま..]
♪ おみ [みき♪さん、こんにちは。 私も筆で書くことはないですねー。墨の薫り、懐かしいです。 あれって、衣服にシミが付くととれ..]