2000年01月17日(月) [長年日記]
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_ 激しい揺れで天井の照明がユラユラと揺さぶられ 今にも落ちてくるのではないかと 何がなんだかわからない中で恐怖の数十秒を味わって5年... 私たちの住んでいる所でさえあんなに恐ろしかったのだから 神戸の人たちの恐怖というのはどんなだったんでしょう。 今年も1月17日が近づくと焼け野原になってしまった5年前の神戸の町が 幾度となくテレビの画面に映し出されました。 灰色と化してしまった焼け野原には 人々の驚愕と恐怖と悲しみと戸惑い... そんな物が渦巻いて目に見えるような気がして今でも胸が苦しくなって 目頭が熱くなってしまいます。 3年前に訪れた神戸の町は大震災があったなんてまるで嘘のようでした。 行き交うたくさんの人々、車、大きな建物、綺麗な道路... でも所々に空き地を目にするとハッとしました。 テレビのドキュメントでは私たちの目には見えないところの神戸の傷が まだまだあると伝えています。 震災当時、何もできなかった私。それは今も同じです。 でも こんな事があったこと、今もその苦しみは続いていること、 それらを忘れないで居ようと思うことと、私には何ができるか考えることは続けようと思います。
当時、どこのテレビ局も今思えば悲惨な町の状況を横並びに映し出しているばかり。 臨機応変に局ごとに交通情報、医療情報、ボランティア情報など 情報を分担する事はできなかったのでしょうか。 まぁ、今だから言えることなのかもしれませんがNOBさんとそんな話をしました。